年金の現況届

年金を受給されている方の現況確認の方法が変わります社会保険庁

2.引き続き、現況届を提出いただく場合があります
 現況届の提出が不要となるのは、社会保険庁において住基ネットに現況確認を行うために必要となる住民票コードが確認できた年金受給者の方に限られます。このため、次の方については、これまでどおり現況届の提出が必要となります。


〔現況届の提出が必要となる主な例〕
社会保険庁が管理している年金受給者の基本情報(氏名、生年月日、性別、住所)が住基ネット(住民票)に保存されている基本情報と相違している方
住基ネットに参加していない市区町村(杉並区、国立市、矢祭町)にお住いの方
外国籍(外国人登録)の方
外国にお住まいの方                                     など

身近にお年寄りのいない方にとっては、「現況届」というのは、なじみのないものだと思うが、要するに、年金受給者の誕生日近くなると、社会保険庁から往復はがきが送られてきて、住所氏名を書いて投函すると、年金受給者の生存確認になる、というものである。いままで、年金受給者のデータは、住民票とはまったく連動していなかったため、仮に受給者が死亡してしまっても、遺族が書き込んで返送すれば、本人が書いたのかどうか、チェックする方法はなかった。
こう書くとびっくりされるだろうが、実際に長年このように運用されていたのである。ときどき不心得者の遺族がいて、新聞種になったりしたが*1、通常は家族が亡くなると、銀行や郵便局の口座はまもなく閉鎖してしまうし、年金の支払いは、前月と前々月の分がまとめて振り込まれるので、過払いの問題はあまり起こらなかった。
逆に、本人が元気でぴんぴんしていても、転居などで「現況届」のハガキが届かなかったり、返送するのを忘れていたりすると、年金は止まってしまう。いつもの期日になっても年金が振り込まれなくて、いったいどうしたんだろうと問い合わせると、原因はたいがいこれだったりする。
そう考えると、住基ネットとの連動はいいことのように思えるが、実際のところ、市町村役場に提出する「死亡届」とは別に、社会保険事務所に「年金受給権者死亡届」を出さなければならない現在の方法を改め、死亡届のデータを、市町村役場から社会保険庁に送ればいいだけの話である。データじゃなくて、もっと原始的に、用紙をカーボン複写にして、副本を市役所から社会保険庁に送付してもよい。現在の現況届自体、アナログな方式なのだから、このようにしても、とくに手間はかわらないはずだ。
住基ネットの大きな問題点は、外国人や、ネットに参加していない自治体の住民が、排除されてしまうところである。ひとつの届出に、いくつもの方式が存在するというのは、間違いも起こりやすい。せっかく住基ネットが稼働しているのだから、あるものを使おう、ということなのかもしれないが、いくらでもそれ以外の方法はあるのに「住基ネットとの連動ありき」ではないか、というように感じてしまう。

*1:もちろん犯罪です

きょうから仕事

きのうの元日は、夫と近所のスーパー銭湯に出かけ、年末の大掃除と正月の準備の疲れを癒してきたのだが、きょうからもう仕事はじめとなる。
というのは、通常月初に行っている給与計算が、正月休みと連休の関係で、締め日を前にずらして昨年末にはじまったからだ。年内に終わらせるつもりが、やはり少し残ってしまった。
きょう夕方から、夫の妹夫婦が帰省してくるので、その前にすませてしまわなければ。
家庭の仕事と、社労士の仕事、とはいっても、体はひとつで自宅で仕事しているので、今年もごちゃごちゃに始まった。

総合調査

本日、社会保険の総合調査が1件あった。被保険者数の少ない事業所だったので、調査自体は、ごくスムースに進み、正味15分で終わった。それはいいのだが、場所が高崎だったのである。新幹線を使って、往復4時間半。帰りは乗り継ぎの連絡が悪く、だいぶ時間をロスしてしまった。
いままで、新規適用をした事業所は、3年くらいは調査がなかったのだが、最近、新適のときには、書類の形式が整っていれば受け付けるようになったため、加入してまもなく調査することに変更になったらしい。
担当の調査官は、いやに愛想良く、態度もていねいだったが、その人の個人的な資質なのか、最近社会保険庁に風当たりが強いので、接遇に関して厳しくした結果なのか、そのへんはよくわからない。さて、交通費の領収書まとめなくちゃ。

電話セールス

電話帳に事務所名を掲載しているので、よくセールスの電話がかかってくる。事務所の電話は携帯に転送するようにしてあるので、自分のデスクに座っているとき以外は携帯でとるため、ナンバーディスプレイは使っていないが番号がわかる。*1東京が多いが、大阪からかかってきたりする。
電話セールスだからといって、すべて断るわけではなく、話を聞くこともあるが、たいていパイトがマニュアルを見てかけてるだけなので、なにか聞いてもまともに答えられないのがほとんど。ぜんぜん興味がなければ「必要ありません」と断るのだが、「くわしいことはメールで」と言っても、メールが届いたためしがない。「あのー、アドレスは?」と聞かれると「"李社会保険労務士事務所"で検索すれば、サイトがみつかるから、アドレスはそこに書いてありますよ」というのだが、単に断り文句だと思ってるんだろうな。逆に言えば、「メールで連絡してください」というのが、角のたたない断り文句にもなるというわけか。

*1:もっとも、この方法は、月々800円の利用料がかかるうえ、固定電話から携帯への電話料金は自分持ち

一挙に倍

雇用助成制度(宇都宮市)
社労士が扱う助成金というと、厚生労働省の管轄のものが主だが、市町村などが独自に行っているものもある。
宇都宮市のこの助成金は、以前は支給額が30万円だったのが、この4月から一挙に倍の60万円になった。
新規成長分野雇用創出特別奨励金と競合する内容だったのだが、この助成金が今年3月いっぱいでなくなったため、今後は、宇都宮市の雇用助成に該当する雇入れも増えてくるだろう。
新規成長分野奨励金のときは、ほかの要件はすべて該当していても、「公共職業安定所又は一定の要件を満たす無料・有料の職業紹介事業者の紹介」という要件が満たせず、残念な思いをすることも多々あったのだが、この助成金は「安定所縛り」はないので、その点は使いやすい。もっとも、事業所、労働者双方の住所が宇都宮市内にある、というのが要件なので、対象はぐっと狭くなってしまうが。

まずい回答

【解説記事】個人事業主と扶養(読売新聞マネー相談室 2005/06/23)
上記リンクは、社労士が年金や社会保険の疑問について回答するという形式の記事である。読売の解説記事であれば、読者数もブログなんかとは段違いで、影響力は大きいはずだ。ところが、この記事は、完全に間違いとはいえないものの、かなりまずい内容である。大切なポイントをふたつはずしている。
まずひとつ。
健康保険の被扶養者に該当する要件として「健康保険の被扶養者の要件である年収130万円(60歳以上、または障害者の場合は年収180万円)未満という要件を満たさないことになります」と説明されているが、これ自体は間違いではない。だが、質問者は「個人事業主」である。事業収入については「収入」ではなく、経費を引いた後の「所得」によって判断される。この質問者の場合は、月収38万円ということなので、経費を50%と見積もっても130万は軽く超えてしまうので、どちらにしても被扶養者になれない可能性が高いが、わざわざタイトルに「個人事業主」と入れていて、給与所得者との違いを説明しないのでは、なんのための解説かわからない。
また、最後の段落も、かなり微妙な書き方である。
表面上は請負契約であっても、実態は労働者という場合、社会保険が適用されるというのはそのとおりなのだが、その場合、その会社の一般の労働者に比べて、おおむね4分の3以上の時間就労していなければ、対象とならない。いわゆる「正社員」以外の働き方の人にアドバイスする場合には、これは必ずおさえておかなければならない点だろう。
さらに、被扶養者になるための要件と、本人が社会保険の被保険者になるための要件は、実はリンクしていない。かりに家族の被扶養者になるだけの要件を満たしている人でも、その人が社会保険の適用事業所に常勤で勤めていて、勤務時間が先に述べたように一般の被保険者の4分の3以上であれば、社会保険の被保険者となる。「被扶養者になれるので、社会保険に入らなくていいです」というのは、ありがちな話だが、法律上は間違いである。この点について、どうも誤解されそうな記述である。
もう一点、これは新聞の解説記事では書けないだろうけど、実際には労働者といえるような働き方をしている人に対して、会社が業務請負契約を結ぶ、というのは、社会保険の被保険者にしたくない、つまり、社会保険の会社負担分を逃れたい、という動機であることが多い。この質問者が社会保険事務所に行って、こうこうこういう事情で、社会保険に入りたいのですが、なんて会社の名前を出して相談した場合、調査まで行かなくても、会社に社会保険事務所から問い合わせの電話が入った時点で、「業務請負契約」自体を失いかねない。
社会保険の適用逃れを黙認するつもりはないが、本人には行動のしかたによっては、職を失う可能性がある、ということを指摘しておく必要があるだろう。個人事業主としてのリスクをとっても、その会社との契約に魅力があれば、自分で国民健康保険国民年金に加入すればいい話だし、社会保険に加入することを重視するのであれば、「業務請負」という働き方を辞めて、「正社員」として働ける別の会社を選んだほうが、現実的だ。